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刮目(かつもく)して待て!

今週は思った以上に寒くなると聞いてます。今年は総じて平年並みということですが、先週が12月にしては比較的暖かい日が続いたので、今週は寒暖の差に驚くということです。特に月曜日から水曜日あたりですね!体調管理に十分注意が必要な師走ということですね。

今週の木曜日は2か月に1回の「3分間プレゼンテーション」の日です。奇数月がファブリカ村なので偶数月を取らせていただきました。

当初の1年間は湖南市の甲西駅前の「今プラス」で場所が固定されていたのですが、当然ですが、来るメンバーも固定されてきて変化に乏しいということで、2年目から「お散歩プレゼン」ということで甲賀ー湖南ー日野ー竜王という4つの場所をめぐる予定だったのですが、なぜか?竜王の後に近江八幡と守山が入って6か所で現在は活動させていただいております。次回の守山で2巡目ですね。場所も今のところ、転々としており固定しませんね(´・ω・`)

タイトルの通り「刮目して相待つ」状態です。そんな大したことはないのですが「注意しておいてね!」程度です。

この刮目して云々は「、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」というのが語源のようです。

原文は『三国志演義』が出典で、呉(ご)の武将(ぶしょう)呂蒙(りょもう)の故事から出ています。こんな逸話(いつわ)です。

呂蒙という人は、呉王(ごおう)孫権(そんけん)に度々重んじられてきましたが、家がもともと貧しく、学問に触れる機会もなかったこともあり、武力一辺倒で学問に全く興味のない人でした。そのため、書類なども自分が話した内容を聞き取らせて、部下に作成してもらっていたそうです。そんな呂蒙の学識のなさを笑って、人々は、「呉下の阿蒙(ごかのあもう)」とからかっていたのです。「阿蒙」というのは、今で言う「蒙ちゃん」といったニュアンスで、さげすんだ言い方ではなく、親しみを込めて、「おばかな蒙ちゃん」的な感じでからかっていました。
そんないつまでも「阿蒙」のままでいる呂蒙を見かねた呉王孫権呂蒙に学問を勧めましたが、はじめのうち呂蒙は「軍中は何かと忙しく、書物を読む時間を取れない」と言い返していました。しかし、孫権は「博士になろうとしなくていいから、歴史を見渡して見識を広めてみてはどうか」と、どの書物を読んで学ぶべきかを教えたともいいます。国王にそこまで言われたら、やらざるをえません。呂蒙は発奮して、勉学にも本腰を入れ、やがて本職の儒学者たちをもしのぐほど読書をし、勉強を続け、見る見るうちに教養を身につけます。
勇猛(ゆうもう)なだけで無学であった呂蒙を軽蔑(けいべつ)していた知識人の魯粛(ろしゅく)は、日に日に上がる呂蒙の評判を聞いて挨拶(あいさつ)に向かいました。実際に語り合った呂蒙は、以前とは比べ物にならないくらい豊かな学識を兼ね備えた大人物へと成長していたのです。
おどろいた魯粛は、「昔言われていた『呉下の阿蒙』であったとはとても思えない」と称賛(しょうさん)しました。そこから出た言葉です。

「士別れて三日、即(すなわ)ち更(さら)に刮目(かつもく)して相待すべし」、つまり「士たるもの、別れて三日もすれば大いに成長しているものであって、また次に会う時が目をこすって違う目でみなければなりませんよ」と。

実はそんな難しくは考えてないのです。